千年にわたり受け継がれる風習の流れを探る-ベトナム伝統的な慣習ーテト(5)

テト― 記憶の響きと心を描く筆致

ベトナム人はテトを語るとき、「食べる」と「遊ぶ」という二つの言葉を並べて用いる。「テトを食べる」が供物やご馳走の充実を意味するのに対し、「テトを遊ぶ」とは精神的価値へと立ち返る営みであり、五感すべてを通して春を味わう行為である。季節の移ろいを大切にする日本の読者にとって、この「テトを遊ぶ」という感覚は、長く続く茶道の一席にも似ている。そこでは一つひとつの所作や楽しみの背後に、人生哲学が静かに宿っている。

記憶の響きと「テトの香り」

ベトナム人の心において、テトは暦が変わる瞬間に訪れるのではない。特有の香りと音とともに、静かに帰ってくる。それが「テトの香り」である。薪でバインチュン(ちまき)を煮る湯気のぬくもり、祖先の祭壇に立ちのぼる沈香の煙、そして年の瀬の夕方に体を清めるために用いるコリアンダーの葉の香り。これらが溶け合い、古い憂いを洗い流し、澄みわたる春の気配を迎える浄化の象徴となる。

香りとともに蘇るのが、忘れがたい音の記憶である。かつて家々の軒先に響いた爆竹の音は、春の到来を告げ、不運を追い払う歓喜の響きであった。今日、爆竹は歴史の彼方へと退いたが、その「音の文化」は、村の祭り太鼓や大晦日の花火の轟きとして鮮やかに受け継がれている。それは単なる音ではなく、再生の鼓動そのものである。

心を描く筆致と書の精神

ベトナムのテトの静謐さと雅趣を象徴する存在が「オン・ドー(儒学者)」である。赤い紙と墨を広げ、街角や文廟の境内で筆を執る姿は、知と徳を尊ぶ文化の象徴である。新年に文字を授かる習わし(xin chữ)は、精神性の高い遊びであり、学問と人格を敬う姿勢の表れである。

人々は文字を「買う」のではなく「請う」。揮毫される一字一字は個別の祈願である。「安」は家庭の平穏を、「徳」は子孫への教えを、「禄」は順調な発展を願う。この書への敬意は、日本の書道(書道・Shodō)と深い共鳴をもつ。白紙に落とされる黒の一筆は、内面と人格の映し鏡である。さらに、ドンホーやハンチョンの年画は、自然由来の素朴な色彩で、陰陽の豚や鶏を抱く子どもの姿を描き、豊穣と繁栄への希求を表現している。

静と動の融合 ― 茶盃から祭太鼓へ

テトを遊ぶ文化は、「静」と「動」の見事な均衡にある。静かな側面では、香り高い蓮茶を囲み、生姜砂糖菓子や蓮の実の甘味を味わいながら語らうひとときがある。これは単なる飲食ではなく、誠意をもって客をもてなす芸術であり、過去を振り返り未来を思索するための間(ま)である。

一方で公共空間では、テトは躍動的に花開く。太鼓が村を目覚めさせ、獅子・麒麟・龍の舞が活力を放つ。空高く舞い上がるブランコや、人が駒となる人間将棋などの民俗遊戯は、楽観と向上心を象徴する。ベトナムの村祭りは、単なる娯楽ではなく、歴史と現代を結ぶ共同体の絆である。

新年の倫理と「初踏み」の儀

テトを遊ぶことは、礼節の実践でもある。「初踏み(Xông đất)」の習俗では、性格が穏やかで運勢が良く、干支の相性が良い人物が年明け最初に家へ入ることで、一年の吉兆をもたらすと信じられている。

「元日は父方、二日は母方、三日は師を訪ねる」という言葉は、孝と師道を重んじる倫理を端的に示す。新年の挨拶は単なる祝辞ではなく、旧きわだかまりを解き、新たな縁を迎える心の刷新である。

養い、再生するためのテト

ベトナム人にとって、テトを遊ぶとは時間の浪費ではない。それは「心の再生」である。若芽を手折り、盆栽の力強さを眺め、年初の寺院参拝に身を委ねる中で、人々は静かな安らぎを見いだす。

テトを遊ぶという営みは、急速に変化する時代の中で、記憶の響きと心の筆致を守り続ける行為である。それは、感謝、家族の絆、自然への敬愛といった価値こそが、どの時代においても春を咲かせる根であることを、静かに思い起こさせるのである。

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